元暴走族少年のちょっといい話!

私が昔いたチューニングショップにマーク2のGX81に乗るお客さんがいました。

GX81にバリバリのワークスフェンダーで竹やり出っ歯のエアロ仕様!

もろ暴走族車両です。

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どう見ても18-9の少年が乗っていました。

この少年は実は障害者で耳が聞こえません。

耳が聞こえないから当然話すこともできませんでした。

いつも会話はメモ用紙に書いて話すようにしていました。

年末になると日の出暴走に行くための車の作成の依頼の為ちょくちょく顔を出すようになりました。

今からもう10年ほど前でちょうど中央高速の日の出暴走がもっとも過激だった頃ですのでこういう車が東京にもたくさんいました。

今ではほとんど考えられない外観の車です。
車内には大きな文字で

 打倒神奈川県警!
   
 目指せ!富士急ハイランド!

と書かれていました。(かなり過激な内容です。)

私がいた店の社長もこのような車をメンテしていると他のお客さんの手前もあるのでもし今度、来たら作業を断るようにしょうと決めました。

この少年は外見は族ですが、話すとすごくいい子で私としても もう来ないで というのがかわいそうに思えていましたが会社の意向でもあるので、紙に説明を書きその車のメンテはもうウチではできません。

暴走族仕様の車はメンテできないがそれ以外の車だったらいつでもメンテするのでその時はまたでひ来店してください。と伝えました。

少年はすこし寂しい顔をして店から去っていきました。

それから2年ほどたった頃、店の場所も違うところに移転したのですが見慣れないPS13のシルビアが来ました。

その車からはなんとあの暴走族の少年が降りてきました。

少年は私に軽く挨拶をして紙にこう書きました。

 あたたのおかげで族やめられたよ!

 今は走り屋でドリフト始めようと思ってる。

少年の思いもよらないこの言葉に私は涙がでそうになりました。

世間的には走り屋も暴走族もたいして変わらないと思いますが車を扱う人間からすれば大きく違います。

しかも、ドリフトはいまや競技としても認められD1グランプリとしてアメリカでも大人気です。

峠の走り屋がプロのドライバーとして活躍する姿は多くの走り屋に良い刺激となっています。

事実この少年もめきめき上手くなり障害者のドリフターとして雑誌に取り上げられるほどになりました。

人は、目標を持つことでどんどん成長しそこにたどり着こうとします。

かっては、闇雲に富士急ハイランドを目指していた少年が今や走り屋として一目置かれるドライバーになった。

その手助けをできたことが私にとっての誇りです。

今は店も変わりあれから何年も会っていませんが今はきっといいパパになっているのかな?

私もあなたからたくさんの勇気をもらいました。

本当にありがとう!

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“元暴走族少年のちょっといい話!” への2件の返信

  1. こんばんは!
    熱き心の伝道師 関達也です。
    契約している光ファイバーのトラブルで
    ご訪問が遅くなりました~(^_^;)
    申し訳ございませんが、今日はご挨拶だけで失礼しますm(__)m
    また来ます(^_^)/
    もちろん応援クリック、ポチっと!

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