奥多摩! 最強伝説

世の中に白と黒がありますがどちらにも属さない限りなくグレーな話です。

その昔、東京の奥多摩峠によく行きました。

東京の有名走り屋チームの一員として、、、、

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R31スカイラインがその頃の愛車でした。

しかも4ドアのパサージュです。

その中身は、RB20DETT改、、東名鍛造2.2LのTD06タービンで武装?していました。

その頃の燃料制御はレビックで追加インジェクター720ccを2本インマニに、ぶち込んでいました。

現在のようにメインインジェクターを交換するチューニングはコンピューターがバカだった為、存在しませんでした。

しかも、空燃費計は200万円以上する製品でしたのでセッテイングは排気温計に頼るばかりのでたらめなセッテイングでした。

レビックはトラストが発売していた追加インジェクターの制御コンピューターです。

その制御方法は、回転数とブーストが交差したところで燃料を噴射する2次元マップです。

きめ細かなセッティングはまるでできない!

マフラーからはいつも恐ろしいほどの炎を噴いていました。

馬力にして350PSぐらい、、、、

しかも、驚くほどのドッカンターボでした。

この車で奥多摩を攻めまくっていました。

これには、理由があります。

はじめてチームに入ったとき先輩に奥多摩につれていかれました。

首都高がメインだったこの車で狭い奥多摩は初めての経験でした。

見事にトンネルのなかで3回も直ドリし壁に激突しました。

修理費100万円、、、、、車は2ヶ月入院しました。

虚しさと悔しさが同時にこみ上げてきました。

車が直ってきてからはもう毎日奥多摩に通いました。

チームの仲間には内緒で、、、、、、、

会長のFC3Sはその当時の奥多摩最速の車でした。

本当にうまかった!(名前を言えばご存知の方もたくさんいるはず、、、)

今でも凄く仲がいいのですが、、、(独立してチューニング屋やっています。)

腕も上がってきた頃、最終兵器のSタイヤを履き挑戦しました。

(それまで、ずーっとセミスリックを履かず練習してきました。)

奥多摩は高低差はあまりありませんがタイトコーナーが続くコースです。

FC3Sはその頃の最強マシンです。

これに着いていくにはいかにターボのブーストを落とさない走りをするかです。

こっちは350PSでも所詮どっかんターボです。

いったん落としたブーストは簡単には立ち上がりません。

スタートで離されたら終わりだと思いドラック張りのクラッチミュートでFCに喰らいつきました。

最終的には最後まで離されることなく付いていくことができました。

R31スカイライン しかも4枚ドア、、、、、、

その後奥多摩では、他の車に負けることはなかった、、、、、、

この時の経験がのちにレースに参戦するときに、大きな武器になりました。

本当に速いドライバーから学ぶことは口では言い出せないぐらいたくさんあります。

また、いい時期に速いドライバーと出会えることがどれほど大切なことか、、、、

井の中の蛙大海を知らず、、、、といいますが

本当にレベルの高い人はいっぱいいます。

世の中に速いドライバーはいっぱいいます。

自分が速くなりたければその中に飛び込んでいくのが1番です。

弱いものいじめはつまらないから、、、、、

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